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舞台装置に求められるもの

突然ですが、大相撲が好きです。

ニュースなどではほとんど取組の部分しか流れませんが、中継を見てみるとそれは大相撲のほんの一部だということがよく分かります。

東西の力士は土俵に上がってから数分間、決まった所作をします。四股や塩撒きなどのおなじみの動きです。儀礼的、定型的な所作ですが、力士ごとに癖や決まったやり方があり、見ていてまったく飽きません。

取組そのものはほとんどが一分もかからないことが多いです。ほんの短時間の勝負のために、取組よりも長い時間をかけて呼吸を合わせ、集中を高め、お互いに手をついてぶつかり合います。 立ち合いよりも前に勝負が決まっているのかもしれないと思うこともあります。見ているうちに、ひとつひとつの所作の意味がなんとなく理解できてきます。

伝統の美しさはもちろんですが、何よりも大相撲の魅力だと思うのは、力士たちの人となりが驚くほどむき出しになって見えるところです。

力士は勝っても負けても表情を変えないように、感情を表に出さないようにと教わるそうです。 実際には負けてふてくされたり首をひねったり、勝ってガッツポーズをしたりニコニコ笑ったりする場面があります。教えに忠実な人でも、抑えている感情の垣間見える瞬間があります。

一日一番という、力士がよく口にする言葉があります。今日の勝負を明日に引きずらないこと、目の前の一番に真摯に取り組むことだそうです。 しかし、どうしても状況によって自分を信じきれない、せこい駆け引きに走る、冷静さをなくして実力を出し切れない姿があり、見ている側も歯がゆくなります。逆に、信じられないような強さを見せられることもあります。

まわし一つで土俵に上がる力士は、十五日間毎日決まった所作のなかで、強さだけではなく、弱い部分汚い部分まで晒されて見えます。 期待の新鋭から最強の横綱まで、だれも完璧な人がいません。全員にもれなく駄目な部分があります。それらが土俵の上で文字どおり丸裸にされます。 わが身に置き換えるととんでもなく恐ろしいことです。だからこそ惹きつけられ、心を打たれるのかもしれません。 それは、音楽や演劇、文学、絵画、人が人に心を動かされるものに共通するような気がします。

すべてを内包して魅力的に演出する大相撲という舞台装置から、学ぶことがたくさんあります。

さて、新年度からピッチを上げていかなくては。